須賀川の概要 - ふるさと祭り -

須賀川の牡丹園

須賀川牡丹園の牡丹 須賀川牡丹園は、昭和7年に名勝天然記念物に指定されており、290種類5,000株の牡丹が咲き乱れております。
広大な園内には雲上香・旭獅子などと名付けられた老木・名木が並んでいて、5月初旬見頃となります。
 

松明あかし

大松明あかし 須賀川城落城にまつわる伝統行事で日本三大火祭りの一つです。
 昼間には大松明行列が行われます。晩秋の夜空を赤々と焦がすさまは、まさに一大戦国絵巻の再現です。
 

きうり天王祭

きうり天王祭 須賀川で1番大きい夏祭りの”きうり天王祭”は、毎年7月14日の夜に、南町地内に設けられる仮殿で、宵祭りが賑やかに行なわれます。
 この祭りは、むかしこの地方に悪い病気が流行したとき、人びとは旭ヵ岡にあるいまの岩瀬神社(明治のはじめに、牛頭天王から岩瀬神社と改称された)に祀 られてある”牛頭天王”のたたりだとして、この地方でとれるきゅうりを供えて祈ったところ、病気がおさまったと一般にいわれてきていることから、いまでも 二本供えてお詣りしたあと、お護符(お守り札)がわりに一本を受けて、それを食べると、その年は無病息災・家内安全などのご利益があるという珍しい祭り で、近頃は交通安全も仲間入りし、農作物の豊作もあわせてお願いするとか。
 また、この地方では、この祭りをさかいにして、浴衣を着る風習があって、市内や近郷から新しい浴衣姿の家族ずれなどの参詣人がつめかけてごった返し、参 道となる旧国道には、綿あめ・おもちゃ・金魚すくい・植木やなどの露店がならび、客寄せの声に、須賀川の初夏の夜は更けていきます。
 この日供えられるきゅうりは5・6,000本にもなるといわれます。
 白河風土記にも、つぎのように書かれています。
「牛頭天王社朝日稲荷ノ社地中ニアリ隔年に6月14日ヨリ15日迄当町ノ黒門(町ノ南木戸ノコト)ノ側ヘ仮殿ヲ建テ神輿ヲ渡ス其初メノ年暦ハ不詳・・・・・」
 いまは、毎年新暦の7月14日に行われており、そして、その仮殿をつくって、いまの場所でお祭りをするようになったのは、約200年以上前の宝暦年間(1750年代)であるともいわれています。
 なお、きうり天王のご神体は、木彫りの30センチほどの大きさで、むかし2丁目と3丁目の間にあった畑の中から堀り出したものだという話もあります。
 

太子堂祭り(大町 勝誓寺境内)

太子堂祭りの説明画像 日本文化の父であり、日本仏教の祖であり、また、職人(建築、美術、工芸などの)の神さまでもあるとして、聖徳太子を祀る太子堂(六角堂)で、毎年1月21日を初太子といい、7月14日を夏太子といって、年に2回行なわれる祭りです。
 近頃は交通安全を祈願する人、また、学問の神さまとして、入学試験合格や学業の無事終ることを祈念する父兄や、学生も多くお詣りするようになっています。
 この六角堂は、天保2年(1831)に建てられた前の太子堂が、大変にいたんだので、この地方の大工・瓦職・畳職・左官・石工など建築関係者の、主とし て職人さんたち有志の力で、昭和36年の春に聖徳太子にゆかりの法隆寺(奈良)にある「夢殿」をかたどって六角堂として、再建されたものであります。
 

宇津峰山やま開き

 ここは、昭和6年7月に国指定の史跡になっており、須賀川市街から東に約9キロの須賀川と郡山両市の境にそびえている山で、海抜676.8メートル、切り立った崖となっており、山の上は自然の城の形となっています。

 毎年5月1日が山開きで、宇津峰神社の祭礼日ともなっており、両市の関係者と一般市民が参列して社前で神官による山開きの神事があり、山の安泰と登山者の無事が祈願されます。

 興国元年(1340)から天平8年(1353)までの13ヵ年にわたって、南朝方の北畠顕信父子が宇津峰宮を奉じて、奥羽地方に号令した遺跡です。1名「星ヶ城」といわれ「雲水峯」とも書きます。

 春は桜・秋の紅葉も美しく、また山菜も豊富で、多くの登山者で賑わっています。
 

朝観音・人形祭り(加治町 妙林寺)

朝観音・人形祭りの説明画像 毎年8月10日の朝早く(午前1時頃)から行なわれる祭りで、この朝、観音にお詣りすると、48,000日お詣りしたとおなじ、ご利益があるといわれ、 たくさんの善男善女で賑わい、参道には屋台店がならんで、須賀川の夏の風物詩の一つでもあります。(東京の浅草寺は、46,000日となっている)

 また、この朝参詣人は、家族の名前と年令を書いた紙人形を持ってきて納めるが、これは病気で苦しんでいるところを、その人形に印して護摩を焚いて祈ってもらうと、その病気が治るといわれています。

 この妙林寺の朝観音は、須賀川城主の二階堂氏が、文安元年(1444)鎌倉から須賀川にくるとき、身を守ってもらうために、その分霊を移したものとさ れ、はじめ本丸(いまの二階堂神社のあるところ)わきに観音堂を建てて納めたが、その後いくさで堂が焼けてから妙見山に移し、さらに二階堂氏の祈祷寺で あった妙林寺に移したといわれます。ご本体は浅草観音(東京)とおなじの一寸八分(55センチ)といわれ、ここの朝観音祭りにならって、徳川末期 (1800年代)からはじめられたと伝えられ、200年近くも続いているものです。
 

古寺山"自奉楽"(上小山田 白山寺)

古寺山"自奉楽" 古寺山白山寺は、養老7年(723)に、行基菩薩が開いたと伝えられており、そのあと火災にあい建てなおされましたが、それからは荒れるがままになって いたので、宝暦2年(1752)に、その時の住僧であった清光和尚さんが、これを再建するため、村の少年少女を集めて、自奉楽という踊りをあみだして、村 々を托鉢して寄附を受け、それで建立したのがいまのお堂で、そのときの踊りが、いまに伝わっている自奉楽であるといわれています。
 この自奉楽は、聖観音の祀られているこのお堂の、33年毎のご開扉のとき(旧3月10日)に行なわれることになっているのですが、近年はお祭りや民俗芸能祭などの舞台でも踊られることが、たびたびあります。
 いま、部落民が保存会をつくって、郷土の伝統芸能を守っており、昭和49年に県指定の無形文化財、さらに国指定の無形文化財民俗芸能となっています。
 自奉楽は、まず露払いの平鍬踊りで舞庭がきよめられ、つぎの田植え踊りは、12ヵ月の農作業を振りつけたもので、豊作と無事を願って舞い、悪魔を祓って部落の安全を祈る獅子舞いの、3部からできています。
 男は、鉢巻きの山仕事姿。女は花笠を冠った早乙女姿で、ともに手甲・脚絆・たすきがけに、革鞋ばきの揃いの装束で、笛・太鼓にあわせて踊る、220年以上の伝統をもった優雅なものです。主体は子供たちで、踊り子は50、60名にもなる、地方色豊かなものです。
 この自奉楽の奉納された、最近の33年目のご開扉は、昭和50年にあたり、4月21日(旧3月10日)に厳そかに行なわれました。